「ぶきような男」 |
僕は、正真正銘の真性「ぶきような男」である。 といっても、決して「ぶきのような男」ではない。 僕は基本的に平和主義者であり、幼少のころから一貫して中道・ハト派路線を歩んできた。 「ナイフみたいにとがっては、触るものみな、傷つけた」 というような「ギザギザハート」な青春なんて、これっぽっちもご縁がなかった。いや、ホントだってば。 ハイロウズの『青春』を地で行くような 「長い廊下で先輩殴る」的なエピソードが記憶の片隅にないこともないのだが、 同じ廊下でも「松の廊下」みたいな止むに止まれぬ刃傷沙汰だと思っていただければいいかなゴチャゴチャゴチャ・・・。 と、話がこのまま「その男、狂暴につき」路線へ脱線していきそうなので、ここで元に戻す。 「ぶきよう」という言葉も、使う人間によって、色々な意味で解釈されるものだ。 たとえば高倉健さんがあの独特の口調で、 「自分は、ぶきようですから」 と呟く時、その「ぶきよう」という言葉からは「男は黙ってサッポロビール」的なカッコよさが漂い始める。 しかし、しかしであーる。 「ぶきよう」の醸し出すカッコよさは、無口で武骨な健さんのようなキャラクターによるところが大きいのであって、「ぶきよう=カッコイイ」という風に単純化することは当たり前だができないのだ。 「貫禄だけは一人前」とよく言われる僕が「自分は、ぶきようですから」と呟いてみたところで、文字通りに解釈されて 「まあこの人はハサミも上手く使えないのかしら」という憐れみの眼差しを投げかけられることはあっても、 「キャー渋いわ。あら、アタシったらどうしちゃったのかしら。もう、どうにでもしてー!」 なーんていう展開になる可能性は限りなくゼロに近くて、ブルーである。 簡単にいえば、僕という男は、その「文字通り」の方の「ぶきような男」なのだ。 小学生の頃の「家庭科」の授業などサンザンだった。 簡単な「手さげ袋」を作る課題をはじめようと、あらかじめ用意された布を机の上に並べて紙のパターンを載せて線を引いたまではよかったのだが、 「よっしゃ切るぞ」とはさみでチョキチョキやりはじめて、しばらくして「ん?」と覗いて見ると、下に重ねて置いていた別の布まで一緒に切ってしまっていた。 タチが悪いのは、失敗を認識しているのにも関わらず、それを認めたくないあまり 「いやいや、オレはオリジナルの作品を作ろうとして、わざとこの部分を切ったのだ」と開き直り、さらに傷口を広げてしまうことだ。 バッサリ切れた部分を誤魔化すため必要以上にアップリケを貼り付けまくり、見事に「バランス音痴」でシュールな「前衛的」作品を完成させてしまった。 裁縫が全般的に苦手なのは、母親に似たらしい。 母親は特に、ジャージの「ゴム通し」を苦手としている。ゴム通しをはじめると母親は次第にイライラしはじめ、我が家全体に「落雷注意報」が発令されるため、 僕は自分の部屋に避難し「クワバラ・クワバラ」と、友達の名前を2回ほど唱えるようにしている。 同じ家庭科でも料理は比較的得意だったが、チャーハンを作ろうと浅いフライパンに「ゴハン→卵」の順番で材料を投入し、「おじや」を作ってしまったこともあった。 また別の料理を家庭科室のコンロで作っていて、「なんかガス臭いなあ」と思ってふとナベの乗っているコンロの脇に目をやると、コンロにガスを供給している長いホースが変な形に丸まって、直にコンロの火にあぶられていた、 なんていう「プチ九死に一生スペシャル」みたいなことも経験してしまっている。 もっとも家庭科では班ごとに料理をすることが多かったので、メインの調理にはなるべく関わらないようにしていた。 まあ味見係というか「お毒見」係というか、テキトーにサボっていた。 料理ができあがるまで、好きな女の子のエプロン姿などを横目でチラチラと覗っては 「あーいいなあ。やっぱり、お嫁さんにするなら○○ちゃんだよな。『アーン』なんつって食べさせてもらっちゃったりしたら、きっと気絶しちゃうだろうなオレ」 などとムフフな想像を膨らませては、別の意味でヨダレをたらしたりしていた。 中学校の「技術科」ではドライバーを作る課題で、根っこの部分を旋盤で削ってねじ山をつけるのだが、削っている最中にボーッとしてしまい、ねじ山を切りすぎて、組み立てた際にドライバーの柄の部分からはみ出してしまうという失敗をした。 そこまでなら、はみ出した分だけ短くすればいいのだが、混乱する中で冷静さを失い、慌てて最後のビスを打ちこんでしまった。 この一件は、完成すればAという課題でクラスで唯一Bを頂戴するという屈辱的な出来事だった。 あーしかしこんなに不器用だと、今のご時世「おムコに行けないわ、わたし。イヤだわイヤだわ」なんて事態に発展しかねないので、これからちょっと「花ムコ修行」でもしてみるとするかな。 「自分は、ぶきようですから」 |