「あきさわ怪談」 |
暑い、実に暑い。 「くそアチーのにいちいち暑さを確認させるな!」と怒鳴られそうだが、誰に何と言われても暑いものは暑いのだ。 ということで、今回はひとつ怖い話で涼んでもらいましょう。 と、書き始めたものの、僕にはいわゆる「霊感」みたいなものがほとんどないらしく、幽霊とかヒトダマとか妖怪といった類のものについては、生まれてこの方一度も遭遇したことがない…ことになっている。 このあたりが少々微妙な言いまわしになっているのは、「思い出したくもないぞ」とか「何かの見まちがいだと信じたい」などといった理由がある他、 それらの体験の多くが幼少期に集中しており、自分でも夢だったのか現実だったのか判別できないという理由もあるからなのだ。 だから「あれは間違いなく幽霊じゃった」と断言したり、稲川淳二みたいに「ホントに見たんですよ、私」と言い切っちゃったりはできないので、 ここでは「確実に夢だったけど怖かった話」を載せときましょう(ホッ、ちょっと安心)。 あれは、僕がまだ3歳くらいの時だった。 我が家では子供用の2段ベッドを購入したのを契機に、僕は5つ上の兄と一緒に子供部屋で寝ることになった。 人一倍甘えん坊の僕を心配した両親は当初、「子供部屋には兄だけを寝かせて僕の方はもうしばらく両親の寝室で」と考えていたようなのだが、 家に届いたばかりの2段ベッドに僕が異常な興味を示し「寝たい寝たい」と主張したため、「それならば」と僕の主張を受け入れたのだ。 兄との交渉の結果(というよりも有無を言わさずなのだが)、僕は2段ベッドの上段に陣取ることになった。 まず、ハシゴで上まで登るという点に惹かれた。まるで立ち木の上に作られた秘密基地のようではないか。 普通の子供ならばたぶん、確実に上段を取りたがると思う。 兄もきっと上段を欲しかったんだと思うが、「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」という、非合理的かつ理不尽極まりない「お約束」で封じ込められたに違いない。 単に兄が大人しい性格だったということもあるだろうが…。 まあとにかく、両親の寝室から子供部屋への廊下をスキップで行ったり来たりしながら、僕は「我が世の春」を謳歌していた。 急に大人になった気分である。 だがしかし、このささいな家内シフトチェンジが、あの恐怖体験をもたらすことになろうとは…、その時の僕には知るよしもなかった(ここ、それっぽいナレーションで)。 僕は怪談とか心霊写真とか、「怖い話」系のテレビ番組が大好きだった。 基本的に怖がりなくせにその手の番組ばかり見ているから、一人でトイレに行けなくなったり怖い夢を見たりすることも多かった。 だから晴れて子供部屋の2段ベッドで寝るようになってからも、夜中に目が覚めたりすると何となく心細くなり、モソモソと起き出しては両親の寝室へ行って母親の布団にもぐり込むというのが習慣になってしまっていた。 「怖い話」の影響で心細い気分になっているのだから、深夜の薄暗い廊下を歩いて両親の寝室まで行くのは、それはそれで結構勇気の要る行動だった。 しかし何度か繰り返すうちに、なるべく余計なものに目を遣らないようにしながら歩くのにもだいぶ慣れてきていた。 もちろん、心の中で「♪お化けなんてないさ、お化けなんてウソさ」と唄いながらではあったが…。 そんなある夜、僕はまた2段ベッドの上段で目を覚ました。 途端に先日のテレビ番組「恐怖スペシャル」に登場した「タンスの中からニョロリと出てくる幽霊」のことを思い出してしまう。 だんだん怖くなってきたので両親の寝室へ行きたい。だが、2段ベッドのハシゴから下りる時にどうしても子供部屋の角においてあるタンスが目に入ってしまう。 これはかなりの恐怖だ。うーん、どうするか。行くべき行かざるべきか、それが問題だ。 僕は逡巡した。そして薄暗い部屋の中で目を覚ました体勢のまま、どうしようかと迷っていた僕は、やがていつのまにか再び、眠りの世界へと落ちてしまったのだ。 これが、そもそもの恐怖のはじまりだった。 眠りに落ちた僕は、こともあろうに夢の中でも同じ体勢のまま、逡巡していた。行くべきか行かざるべきかと。 つまりこの段階で、実際の僕の身体は、子供部屋の2段ベッドの上段で眠っているのに、夢の中の僕は同じ2段ベッドの上段で両親の寝室に行くかどうかを迷っているという状態なのだ。 夢の中の僕は、今自分が目にしている子供部屋の薄暗い風景を現実のものとして、少しも疑ってはいない。 疑う余地はない。少し前に見ていた風景が、断絶することなく意識の中で繋がっているのだから。 夢の中で「行かない」という結論を出せば問題はなかった。しかし「両親の寝室へ行く」という行動それ自体に、だいぶ慣れはじめていた僕は、あろうことか、夢の中でも「行く」という結論を出してしまったのだ。 僕はモソモソと起き出し、2段ベッドのハシゴに足をかけた。この1歩はただの1歩ではない。 テレビ番組「恐怖スペシャル」の記憶に彩られた、魑魅魍魎の渦巻く僕の潜在意識内への1歩である。 しかし、闇のシナリオライターは、そこが異次元の空間であることを簡単には僕に悟られまいとする。 2段ベッドの下段には普段と変わらない兄の寝顔がある。ふと懸念していたタンスに目を遣っても、なんら変わった様子はない。 闇のシナリオライターは、最大恐怖のクライマックスの場面まで僕を確実に誘うために、僕に不要な疑いを持たせないような、限りなく現実に近いストーリーを用意していた。 僕はいつものように、余計なものを見ないようにして、まっすぐ廊下を歩いた。寝室のふすまを開けると、母親がムクっと起き上がって布団の中に招き入れてくれた。 母親にも別段変わった様子はない。父親は壁の方へ身体を横向きにして熟睡しているようだった。父親と母親に挟まれて僕が寝て、まさに「川の字」のようだ。 何も変わらない、全くもって、いつもと同じだ。 たったひとつ、見上げた天井に漂う青白い光をのぞいては…。 いつもはここにくるとすぐ寝つけるのに、その日は違った。天井の青白い光がどうしても気になって、なかなか寝つかれないのだ。 そのうちにその漂う青白い光はユラユラ揺れながら、壁際につるしてあった父親の半袖ワイシャツの中にすっと入った。 僕はその段階で底知れぬ恐怖を予感し、硬直したままワイシャツを凝視した。 やがて予感した通り、ヌッと、ワイシャツの袖口から青白い両腕が伸びた。全身に鳥肌が立つ。 そのままの体勢で「ウワーッ!」と叫んで、母親に助けを求めるべく「お母さん!お母さん!」と、さらに叫んだ。 かなりの大声で叫んでいるはずなのに、母親は隣でモゾモゾと緩慢に寝返りをうつだけである。 ワイシャツの青白い腕は完全に伸びきり、今度は襟元から首が出ようとしている。 僕の恐怖はもはや限界に達していた。最後の勇気を振り絞ってどうにか身体の硬直を解き、気配だけをたよりに隣で寝ている母親に思いきり抱きついた。 だが半身を起こした母親の身体は、どういうわけか異常に冷たかった。 慌てて母親の顔を見遣ると、僕が抱きついたのは母親なんかではなく、青白い顔をした老婆だった。全身に冷たいものが走る。 僕を抱え込もうとする老婆の腕を振りほどき、壁に向かって熟睡している父親の身体を必死に揺らした。しかし父親は全く反応しない。 老婆は「おいでおいで」と手招きをしている。 僕は後ずさりしながら寝室を飛び出し「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と叫びながら、さっき来た廊下を子供部屋に向かって全速力で駆けた…。 と、この時2段ベッドの上で寝ていた現実世界の僕も相当な大声で叫んでいたらしく、ハッと目を覚ますと兄がハシゴの所から顔を出して、僕を心配そうに見つめていた。 まだよく事態が飲み込めていない僕が、「お兄ちゃん、お母さんがお化け、お母さんがお化け…」などとわけの分からないことを口走っていたものだから、 兄は「弟は具合が悪いらしい」と思ったのか僕をベッドから下ろして、手を引いて両親の寝室へ連れて行こうとした。当然僕は抵抗した。ベッドの柱をつかんで離さない。 僕は「お兄ちゃん、ダメだよ。お母さんがお化け…」と叫び続け、しまいにはあまりの恐怖で泣き出してしまった。 闇夜をつんざくような僕の泣き声を聞きつけて、両親が慌てて廊下を駆けてくる足音が家中に響いた。 子供部屋のドアを開けた母親の姿を見て、僕がまず後ずさりしてしまったことは言うまでもない。 |