チョコ・ゲット大作戦 |
2月14日、バレンタインデー。その日(というかイベント)を僕が決定的に意識しはじめたのは、小学4年生(ヨワイ10歳)の頃であった。
その冬、僕の通っていたY小学校の4年3組には、 「第1次バレンタイン・ブーム」 とでも表現すべきような一大ムーブメントが到来していて、全体的にとても華やいだ空気に満たされていた。 というのも、3学期がはじまってまだ間もない頃、クラスの女の子たちが、こぞって「あげちゃう宣言」をしはじめたのである。 「あげちゃう宣言」といっても、決して山口百恵が唄うところの、 「♪あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ」的あげちゃうではない。 まだ小学4年生である。そっちの「あげちゃう」に関しては、お父さんとしては絶対に許さんぞ、なのである。 まあ要するに、バレンタインデーという慣習が、わが4年3組にもドット流入してきたのだ。 こっちの「あげちゃう」に関しては、お父さんとしてもチョコっと期待しちゃうぞなんてねガハハハ、なのである。 それ以前は、ハナシには聞いていたが、具体的にチョコが動いている(?)現場を見たことがなかったので、みんな(とくに男子は)急にデートに誘われてしまったような、ウレシハズカシ「困っちゃうな」状態に陥った。 今の小学生ならいざしらず、僕の頃は、クラスで色恋沙汰(といっても「ヒトシはヨシコちゃんのことが好き」くらいのこと)が露見しようものなら、 黒板に全30段ぶち抜き「相合傘」を描かれ、悪ガキにさんざん冷やかされたあげく、恥ずかしさを紛らすために、 「ヨシコみたいなブス、誰が好きになるかよッ!」 などと心にもないことを口走り、ついには当のヨシコちゃんが机につっぷしてワーワー泣き出す始末… という地獄絵図が出現するのが通り相場だったのである。 だからモテモテの男子というのは、頻繁に悪ガキの冷やかしの対象になるため、普段は居心地の悪い思いをしていたものだった。 しかし、バレンタインデーというのは基本的に女の子主導のイベントであり、またチョコをあげるという物的要素(目に見えるモテモテ度)が加わってくるため、一気に形勢が逆転し、 「モテモテの男子 ⇒ エライやっちゃ!」 という図式が出現するのだ。 一種の治外法権というか、悪ガキもこの日ばかりはついつい大人しくなってしまうのである。 だからバレンタインデーは、 「二月十四日ハ小学校ニ通フ女子ガ最モ安全且ツ妥当ナ手段スナワチ猪口菓子ニヨツテ当該男子ニ思慕ノ念ヲ告白シ得ル日トス」 と『初等教育現場における個人的恋慕についての取り扱い及び少年期における純粋異性交遊活動の運用に関する法律』(ウソ法)に規定されてある通り、当時の小学生にとって、特別な日であった。 もっともこの法律、お菓子メーカー「○ッテ」や「グ○コ」のヒモ付き献金によって制定されたという「チョコ屋の陰謀説」も根強い。 さて、そんなこんなで我が4年3組にもブームが起こりつつあったわけだが、「女子が、好きな男子にチョコをあげる日」くらいの知識を一応持ちあわせていた僕は、 「あっそ、オレにはぜーんぜん関係ない日ね」 と素早く判断をくだし、 「エーイ、捨ておけ捨ておけ。ワハハハハ」 と、いち早くバレンタインデー完全無視の姿勢をとった。 だから当日も、どうということなく学校へ行き、どうということなく男友達と遊ぶ約束をし、どうということなく待ち合せの公園に行ったのだ。 ちなみに僕の通っていた小学校では、バレンタインデーとはいえ特別扱いはせず、 「学校にお菓子を持ってきてはいけません。メッ!」(←別にラッツ&スターが唄っているわけではない) という原則にのっとって、「チョコの受け渡しは放課後に行なうべし」という不文律があったのだ。 さて、待ち合せの公園で待っていると、遊ぶ約束をしていた桐井君(仮名)がニヤニヤしながらやって来て言った。 「今日ってバレンタインじゃんか。さっきウワサで聞いたんだけどさ、トモミに頼むとチョコくれるらしーぜ」 トモミは眼のクリッとした可愛らしい女の子で、クラスの男子の“密かな”支持を集めていた。 「な、アキサワ。お前もチョコ欲しいだろ。行ってみよーぜ」 僕はとっさに「桐井君はトモミのことが好きなんだなあ」と感じた。でも自分はオクテだったせいか、女の子を好きになるとか、そういう感覚がまだよく分かっていなかった。 例えばトモミを見れば「可愛い」と思うけど、だからといってドキドキしたりしはしない。女の子からバレンタインチョコをもらえば嬉しいだろうけど、特定の誰かからもらいたいとは思わない。 自分の心の中さえ全然見えていない、そんな時期だった。 単純に、ちょっと頼んでチョコがもらえるならそれもいいかな、という軽いノリで、僕は桐井君に付いて行くことにした。 しかし、トモミが待っているという小学校のグラウンドへ向かって自転車をこぎながら、僕は考え込んでしまった。 僕の頭の中にあったバレンタインデーの定義は厳密に、「女子が、好きな男子にチョコをあげる日」だった。 要するに、当時の僕は「義理チョコ」という概念を知らなかったのだ。 だから、例えばトモミに「チョコくれよ〜」と言うことは、 「トモミ〜、お前ホントはオレのこと好きなんだろ?ベイベー」 と言っていることと同じではないか、と考えてしまったのだ。 そんなセリフを口にするのは、かなり恥ずかしい。 それに、首尾よくゲットできればまだマシだが、 「あんたにやるチョコなんてないわよ。なに勘違いしてんのよ!」 などと邪険に扱われたりしたら、二度と立ち直れそうにない。 一気にビビッた僕だったが、桐井君の勢いに乗せられたまま、小学校のグラウンドまで来てしまった。 見ると、トモミは大きな紙袋を抱えてブランコに座っていた。グラウンドには、トモミからもらったチョコをほおばりながら歓喜のオタケビをあげているサルどもの姿が…。 どうやら「頼んだらくれる」というのは本当らしい。 しかし、ヤツらサルどもは臆面もなく、 「オレにチョコくれよ(オレのこと好きなんだろ?ベイベー)」 と言ったのだろうか、信じられん。それに、そう言われてあっさり「愛のしるし」チョコをやってしまうトモミもトモミだ。 (ふっ、こいつはとんだ食わせモンだぜ。この○軽女め) みたいな趣旨のことを、小学四年生なりの知識と語彙で考え、僕は桐井君の出方を待った。 この「逆ハーレム」的半狂乱状況を鑑み、トモミに密かに想いを寄せている(はずの)桐井君はいかなる行動に出るのか。 「トモミッ、目を覚ませッ!バシッ」 と、愛の鉄拳を食らわすだろうか。 桐井君はブランコに腰かけるトモミに向かって、大手を振って一歩一歩近付いていき、遂に言葉を発した。 「トモミ〜、オレにもチョコくれよ〜」 ああ、桐井よ、お前もか…。 念願のトモミ・チョコをゲットした桐井君は、大喜びでサルの群れの方へ駆け出して行った。モンキー・マジックだ。 取り残されたのは、僕である。 まさか桐井君の代わりにトモミに愛の鉄槌をくだすわけにもいかないし、「トモミ〜、オレにもチョコくれよ〜」とは、もちろん恥ずかしくて絶対言えない。 結局、何も言えぬまま、僕はトモミの隣りのブランコに腰をおろした。グラウンドの真ん中ではサルどもの狂喜乱舞が続いていた。 何だか妙な間だった。トモミも、当然「オレにもくれよ」と言ってくるはずの僕が何も言ってこないので、「え?」という感じに黙っている。 不思議そうに僕の横顔を見つめるトモミの視線を感じて、ふと思う。 (あれ、このシチュエーション、オレが一番おいしくないか?) 人間ってヤツは不思議だ。そう思ったとたん、それまでなんとも思っていなかったトモミの存在を急に意識するようになってしまったのだ。 (いかん、ドキドキしてきた) そのうち、トモミが僕の前にチョコを差し出して言った。 「アキサワくん。ハイ、これ」 心が揺れた瞬間をとらえられ、僕は激しくローバイした。 「え、あのその、えーとあの……あ、ありがとう…」 も、もらってしまった。トモミの「愛のしるし」を。トモミは微笑を浮かべて僕を見ている…。 (か、かわゆい。かわゆいぞ、トモミよ) 自分の気持ちの急激な変化に戸惑いながらも、僕はもう既にトモミ・ワールドにどっぷりと引きずり込まれていた。 (オレは、たぶん、トモミのことが好きだったんだ…前からずっと…) と、そこでふと、 トモミのくれたチョコを見ると、それは大きなハート形がちょうど真ん中でギザギザに割れているデザインではないか。 「ウッ…」 そのギザギザ・ハート・チョコで、僕は全てを悟った。 トモミはいわゆる「義理チョコ」をクラスの恵まれない男子たちに配っていたのだ。言ってみれば、「ボランティアの炊き出し」みたいなものだ。 きっとトモミは、割れていないキレイなハート形のチョコを、ここにはいない誰かにあげたに違いない。そいつが、トモミの本命なのだ。 (でもなんだろう、それは分かっているのに、今このギザギザ・ハート・チョコを手にしていることの、嬉しいような悲しいような気持ちは…) 混乱した僕は、照れ隠しのつもりで、そのチョコを一気食いした。 はじめてのバレンタイン・チョコの味は、やっぱりちょっと「ビター・スウィート」だった。 |