ドライヴ・ア・ゴーゴー

 今を去ること約10年前、当時中学生だった僕は、漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』に影響を受けたためか、何故かちょっぴりカーマニアであった。

 もっともカーマニアとはいっても、所詮ガキンチョなので、実際に免許を取得したり、車を購入したりすることはできない。

 だから普通、ガキンチョ・カーマニアというのは、それこそ『こち亀』の中川巡査が所有するような超高級外国車の名前だとか、

「V型8気筒エンジンがどうのこうの」

「トランスミッションがカクカクしかじか」

 というような車周辺の知識だとかを、片っ端からひたすら覚えることで、なんとか欲求不満を解消しようとするのだ。

 しかし、これはガキンチョに限ったことではないが、車関係のマニアの悲しいところは、けっこう値が張るモノだけに、知識が増えれば増えたで、

「でもどうせ、オレなんかには買えないんだよねえ。フッ」

 というブルーな気分に時折襲われてしまうということだろう。

「フェラーリだ。ランボルギーニだ。ジャガーだ」

 と、若かりし頃にシャウトしていた友達が、オフクロさんと共用の、

「カローラ?」

 なんかに乗って登場したりすると、ハタで見ているこっちまでが思わずブルーな気分になって、ついでにサイフがないのにも気付いたりして、

「♪そのままドライブ〜」(←ガソリン大丈夫なんだろうな!)

 にでも出かけて、海に向かって「バカヤローッ!」と叫びたくなってしまうのである。

 モノがモノだけに、理想と現実の距離感がものすごいことになってしまっているのだ。

 どのマニアの世界でも、専門知識の多い者はそれだけチヤホヤされ、それなりの権力を有することになるわけだが、それに努力が必要なのもまた事実で、

 ガキンチョ・真性カーマニアたちは、ハタから見ればどう考えても「彼らには必要ないのでは?」と思えてしまうようなもの、例えば、

 『中古車購入ガイド』みたいな雑誌に、なけなしの小遣いを惜しげもなく投入してしまうのである。

 が、幼い頃から圧倒的に「知識より妄想」派の人間である僕は、客観的に見て自分にとって無駄としか思えない情報をわざわざ金を払ってまでして欲しいとは思わなかったので、手軽なところで新聞折込のカーディーラーのチラシを眺めては(こっちは基本的にタダ)、

 「あれはカッチョいい」「これはダサイ」などと品定めをしながら、

「あー、こんな車でブイブイいわせて、ついでにセクスィーなネーちゃんを連れ込んで、できることなら行けるところまで行ってしまいたいなあ。あー、発車したいなあ。別の意味でもハッシャしちゃいたいなあ」

 と妄想を膨らまして楽しむのがツネであった。

 もっともこれは、どうやら僕の場合に限った話ではなく、車の世界というのはやはり「男のロマン」色の強い世界のようで、

 また「モテたい」「ヤリたい」というような欲棒…いや欲望に直結しているものでもあるらしく、車関係の雑誌にはエロ記事めいたコーナーやフーゾク関係の広告がたくさん載っていたりする。

 僕は大学1年生の冬に運転免許を取得したのだが、それ以前から、車を運転するようになったら一度やってみたいと思っていたことがあった。

(ハナシの流れからすると、車の中でするエッチなことだと思われそうなのだが、僕にそんな趣味はない)

 それは、いわゆる「パッシング」というやつである。

(エッチングではなくパッシングである。そこんとこ、ヨロシュウ)

 ライトのレバーを手前に引いて、一瞬パシャッとライトを点滅させる、アレである。「お先にどうぞ」みたいな車同士の合図とかに使われるわけだが、これがナカナカどーして実に玄人っぽくてカッチョいいのである。

 「片目でウインク」みたいなノリが、クラクションを無機質にブーブー鳴らしたりするよりも、当社比で100倍くらいイイ感じなのだ。

(余談だが、クラクションの音にはムカツク音とそうでない音があるような気がしてならない。経験上、タクシーのクラクションは圧倒的に前者である。)

 免許を取りたての頃は安全運転を心がけてあちこち確認するのに精一杯であるし、普通に道をまっすぐ走っている限りにおいては、それほど「パッシング」をする機会なんてないというのも事実だった。 

 だから、免許を取得してからしばらくの間は、念願のパッシングをするシチュエーションに出くわすことがなかった。

 しかしある日、僕はついに絶好のパッシング・チャンスにめぐりあった。

 交通量の比較的少ない道路を走っていると、少し先の信号のない横断歩道の手前に人が立っているのに気付いた。それも、ただの人ではない。財布を手に持った「若くてキレイなお姉さん」である。

 どうやら道路の反対側にあるコンビニに行くつもりらしく、車が途切れるのを待っている様子だった。

「むむむッ」 

 と、すばやく反応した僕は、

「アタシのパッシング初体験は、お姉さん、あなたにあげちゃうわあげちゃうわ」

 と何故かオカマっぽく決意し、周囲の状況を確認した。

 対向車はなく、ミラーで確認しても後続車は来ていない。今、自分の車が横断歩道の手前で止まっても、他の車にも歩行者にも両親にも世間様にも、誰にも迷惑をかけることはなく、ただひたすら、

「お姉さん、喜ぶ。ボク、満足。」

 という、まさに「ウッフ〜ン」な、大チャンスであった。

「よおし、ここはカッチョよくパッシングを決めてやるぜッ!」

 と僕は意気込み、車のスピードを徐々に落としながら、ハンドルの横に付いているレバーを思い切り手前に引いた。

 と、ここで、予想外の事態が発生した。

 フロントガラスとエンジンルームの隙間から、ビュッとフタすじの水が飛び出したのだ。

「はあ?」 目がテン、である。

 パニックになってしまい、しばらく何が起こったのか分からなかったのだが、すぐに恥ずかしさが込み上げてきた。

 僕は、ハンドルの右側に付いているライトを操作するレバーと、左側に付いているワイパーのレバーを間違って引いてしまい、フロントガラスを洗浄するための水を思い切り発射してしまったのだ。

 僕の車が停止線の手前で止まったので、お姉さんはゆっくりと横断歩道を渡りはじめた。

 軽く会釈をしながら軽い足取りで通りすぎるお姉さんと、怪しげなフタすじの水に濡れたフロントガラスをただ呆然と見つめる僕…。

 しばらくして、ふと我に返った僕が、

「つ、ついでだから、ここでフロントガラスの掃除をしとこうと思ったんだよねえ」

 という「もはや手遅れ」な苦しい一人芝居をしながら、晴天の下でシャコシャコとワイパーを動かしたのは言うまでもないことであった。

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えせいずむ!アキサワ☆まがじん。

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