エロ大王との対決

 どの学校にも、「エロ王」と呼ばれるような人種がいた。

 保健体育の「寸止めエロ的」教科書から、ぺロ本、ぺロ漫画、ぺロビデオ、はたまたダイヤルQ2(最近ではエロサイト?)に至るまで、あらゆるエロ情報の発信基地である彼らは、

 エロスという未開の大地へのフロンティア・スピリッツに燃える、クラスの、情熱的かつ健全な男子生徒諸氏の、

「エロのことなら、○○くんに訊けッ!」

 という絶大な支持と、熱い尊敬の眼差しを浴びる存在であった。

 今の小学生がどうだかは知らないが、僕が小学生だった頃の、手近な(?)エロといえばやはりぺロ本が主流だった。

 エロ王とお友達でいることの最大のメリットは、この「お宝」ともいうべきぺロ本を、いとも簡単にゲットできることだろう。

 エロ王は、所有する大量のぺロ本を、エロに飢えた迷える子羊たちに惜しげもなく貸し与えたもうた。

 このエロイムエッサイムな友愛の精神は、まさに「エロは地球を救う」であり、エロ王の救済を受けた我々子羊たちは、

「人類みな○○兄弟」(想像上)

 という不思議な連帯感の中で、ジョン・レノンの「イマジン」を大合唱したものである。

 さて、そんなエロ王諸侯の中でも、僕にとって忘れられない一人の少年がいる。

 僕が彼に会ったのは、小学六年生の時、町内会の合宿イベントで訪れた「青年の家」だった。

 当時僕は、県大会出場の常連チームとして町内会の花形であった若葉野球部(仮名)に所属していて、それなりに活躍していた。

 合宿に参加するのは基本的に近所の子供たちであるから、はじめから徒党を組んでいる野球部員の、しかも最高学年の僕にとって、これがかなり居心地のいいイベントであることは簡単に想像していただけると思う。

 合宿当日、僕は意気揚揚と、青年の家へ向かうバスに乗り込んだ。と、ここで若葉町内会の役員のオバさんから、今回の合宿イベントに関する極めて重要な情報が僕たちにもたらされた。

 今回の合宿は、なんと、隣りの小学校の学区にある、矢田2丁目町内会の子供たちと合同で行われる、というのだ。しかもご丁寧に、青年の家での部屋割りは全て、「若葉六年生+矢田2六年生」(以下同じ)というパターンになっているとか。

 よわったなあ、と僕は思った。僕という人間は、自他ともに認めるハイパー「人見知り」な少年だったのである。同じ学区内ならともかく、隣りの小学校の見ず知らずの子供たちと短い合宿の間に仲良くなれる自信は全くなかった。

 しかも、ヘンに血の気の多い自分は、初対面の印象が悪かった人間とすぐさま「ボカスカ」なトラブルに発展する傾向があったのだ。

 僕は、さっきまでの「我が世の春」状態から打って変わって、一気にゲンナリ・モードに突入してしまった。そんなこんなで僕は、

「ま、いいや。面倒臭い外交交渉(?)は他の六年生たちに全部まかせて、オレは後ろの方でおとなしくしてよーっと」

 という、極めて受動的な態度で、合宿に臨むことになった。

 現地に到着し、玄関前で、さっそく矢田2の面々とのご対面とあいなった。揃いの黒い野球帽を被っている者が多く、相手方もこちらと同じく野球部中心の集団であることは一目瞭然だった。

 中でもひときわ目を引いたのが、どのチームにも必ず一人はいるタイプの、いかにも「野球好きのデブチン」といった感じの小太りな少年で、手荷物の他に巨大なスポーツバックを持っていた。

 部屋割りごとの簡単な自己紹介で、その小太りの少年は、僕たちと同じ6年生で、矢田2野球部のキャプテンだということが判明した。典型的な「子供の頃からエースで4番」タイプだろうか。

 まさかあのバッグの中から部員全員分のグローブやらボールやらの用具をザクザク出して、オレたちに見せびらかすように早朝練習とかを始めたりするんじゃないだろうな、と僕は思った。

 それから部屋へと移り、まだ少し遠慮がちな両グループは、部屋の真ん中できっぱりと二手に分かれ、それぞれの2段ベットの島を占領する形で陣取った。38度線を挟んでの冷戦状態である。

 僕はベッドに寝転がり、なんだかテンションあがんねーなあ、と思いながら、しばらくボーッとしていた。

 と、そこに、さっきの小太りな少年が、例の巨大なスポーツバッグを抱えて僕たちのベッドの島の方にやって来た。

(すわ。さっそく、野球のガチンコ勝負でも申し込んでくるつもりか…いきなり最終戦争勃発か…)と、僕は少し身構えた。

 すると顔に満面の笑みをたたえた小太りは、床の上にバッグを「ドカッ」と下ろすと、おもむろにバッグのチャックを開けて右手を「エイヤッ」と突っ込み、中身をむんずとつかむと、「ドサッ」と僕のベッドの上に、例のブツを置いた。

「おおおおおーッ!」

 と、我が若葉野球部陣営は色めき立った。それは、我ら迷える子羊にとってはバイブルに等しい、数冊のぺロ本だったのだ。

 小太りは人懐こい笑顔を浮かべ、「若葉のみんなにおすそわけ」と言った。それは、電光石火の劇的な「雪どけ」であった。

 まさに「エロは地球を救う」である。両陣営の緊張はいとも簡単に解け「イマジン大合唱」「ワー・イズ・オーバー」状態になったのだ。

 さらに驚くべきことは、小太りの巨大なスポーツバッグの中身は、全部が全部ぺロ本で、中身は心持ちピンク色に染まっていた。

「エロエロエロエロエロエロエロエロエロエロエロエロエロエロ」

 という凄まじいまでの、まさに「エロリズム」であった。 

 小太りの少年のエロリズム支配は矢田2の子供たちの間でかなり浸透しているらしく、彼は野球部のキャプテンでありながら、後輩部員からも「エロ原」と呼ばれていた。まさに自他ともに認める正真正銘の「エロの枢軸」「エロ大王」であった。

 そんなこんなで、我が六年生部屋は一気にエロの巣窟と化し、合宿の期間中、僕たちはとっかえひっかえ「エロ原」コレクションを漁り、偉大なるぺロ本ワールドを隅から隅まで堪能したのだった。

 青年の家での合宿からしばらく経ったある日、公民館で行われた少年野球大会地区予選の「組み合わせ抽選会」に参加したキャプテンの川本君から、我らが栄光の若葉野球部の、トーナメント初戦の対戦相手が部員全員の前で発表された。

 相手は、なんと、あの「エロ大王」ことキャプテン・エロ原率いる「矢田2野球部」だった。

 そのチーム名を聞いた瞬間、レギュラー部員たちはお互いの顔を見て、「デへへへへへッ」といやらしく笑いあった。数ヶ月前の、

「ナイト・フィーバー in 青年の家」

 の生々しい記憶が頭の中を一気に駆けめぐったのだ。そして次に、どういうわけか、みんなしてこう思った。

「余裕勝ちだ。あんなエロ集団に負けるわけがない」

 「エロ→野球がヘタ」というのは、論理の飛躍もいいところだ。今だったらそんな風には絶対考えないと思うのだが、青年の家での「エロリズム」のインパクトが強すぎたせいか、それとも地域の伝統的な強豪チームとしての自負もあったか、僕たちはまるで自明のことのように矢田2野球部を「弱小チーム」と思い込んだ。

 そして、試合当日を迎えた。

 小学校のグラウンド、ホームベースを挟んで両チームが整列する。矢田2のメンバーはキャプテン・小太りのエロ原以下、先日の合宿で見た顔ばかりだ。当然僕たちの目には、

「エロエロエロエロエロエロエロエロエロエロエロエロエロエロ」

 と、エロリストのオンパレードに見える。

 どうも、「同じカバンのぺロ本を堪能した」という同胞意識が働いてしまい、試合前だというのに、いまいち気合がのってこない。

 エロ原(矢田2)VS川本君(若葉)、両キャプテン同士の、

「お願いしやーす。あいけんグー、じゃんけんポンッ!」

 の結果、僕たち若葉野球部は先攻になった。

 エロ大王・エロ原がマウンドにのぼり、ピッチング練習をはじめる。球速、コントロール、ともに平均的なピッチャーのようだ。

 1番バッター(ショート)のキャプテン・川本君がバッターボックスに入る。エロ原は振りかぶって、初球を投じた。

 真ん中に甘く入ったゆるい直球。川本君は軽々と左中間に弾き返し、俊足を飛ばして2塁に到達した。

 マウンド上のエロ原は出鼻をくじかれて動揺したのか、急に制球を乱しはじめ、続く2番3番バッターに連続フォアボールを出した。

 初回からいきなりノーアウト満塁の大チャンスである。若葉陣営に、(やはり、矢田2はただのエロ集団か、余裕勝ちか!?)というムードが急速に高まってくる。

 次のバッターは「4番・キャッチャー・アキサワ」、僕である。

 押せ押せムードに文字通り押されて、僕はバッターボックスに向かった。

 初回にいきなり迎えた大ピンチに浮き足立つ、マウンド上のエロ原の様子を見て、(立ってるだけで1点入るんじゃないだろうか)と思いながらベンチの監督を見ると、やはり「1球待て」のサインだ。

 僕はエロ原にプレッシャーを与えようと、プロの選手のようにゆっくり地ならしをしながらバッターボックスに入り、先代の4番バッターの先輩から伝授された、ホームベースをバットの先でコンッコンッと叩く動作で威嚇しつつ、ドカベン山田太郎風にどっしりと構えた。

 エロ原が振りかぶる。僕はエロ原をビビらせて四球を狙うための演技で打ち気満々に構えているが、内心は監督の指示通り、初球はストライクでも見逃すつもりでいる。エロ原が初球を投じた。

 糸を引くような速球が真ん中低めギリギリいっぱいのストライクゾーンに決まった。「ウッ」と僕は思わず唸った。ここまで3人のバッターに対したのとは、まるで別人のような完璧な投球だった。

 少々面食らいながらも、(まぐれか?)と僕は思う。ベンチの監督もそう思っているらしく、「もう1球待て」のサインだ。

 第2球が投げ込まれた。今度は、同じような伸びのある速球が内角のストライクゾーンに決まる。打つ気があっても簡単には捉えられそうもない厳しい球だ。

(こ、これは、まぐれなんかじゃない…エロ原は、単に立ち上がりが悪いタイプだったんだ…これじゃ本格派投手じゃないか…)

 その時、若葉陣営の誰もがそう思い、ゴクリとツバを飲み込んだ。

(大変なことになった)と僕は思う。エロ原をノーコンピッチャーだと思い込んでいたばかりに、無駄にストライクを見逃して、気付けば簡単にボールカウント「2−0」に追い込まれてしまっているのだ。

 必死にさっきの速球のタイミングを思い出しながら、僕は構えた。振り遅れたら一巻の終わりだ。

 エロ原は振りかぶり、前の2球と全く同じモーションで第3球を投げる。僕は少し早いタイミングで体重を軸足に移動させる。

 と、エロ原の指を離れたボールは、抜いたような山なりのスローボールだ。タイミングを外すチェンジアップというやつである。

 僕は前につんのめりそうになりながら、ふわっとした山なりボールの軌道を目で追った。ボールなら見逃せばいいのだ。

 しかし、エロ原のスローボールは高めのストライクゾーンギリギリに落ちてくる。

(いかん、カットせねばッ)と僕はかなり無理な体勢で、バットを出した。

 かすったような打球は上手くファウルゾーンの方へはいかず、あろうことか、ボテボテとピッチャー・エロ原の前に転がってしまった。

(しまった)と、心の中で叫びながら、地べたに倒れ込みそうになった身体を起こして、僕はわき目も振らず1塁に走った。最悪、併殺だけは阻止しようと思ったのだ。

 足には自信があった。ボールが一塁手に到達する前に、僕は1塁ベースを踏んだ。そして、ダイヤモンドを振り返り、愕然とした。

 エロ原からの送球によって、本塁上で3塁ランナーが刺された後、スタートの遅れた2塁ランナーが三塁上でフォースアウトになり、結局ダブられてしまっていたのだ。

 大ピンチでの相手4番バッターのポカに、矢田2陣営は急に活気づいた。続く5番バッターもあっけなく凡退した。

 先制点の好機を逃した我が若葉野球部は、その後の守備・攻撃にもミスが目立ち、プレー全体に精彩を欠いた。

 結局、1回の表に得点できなかったことが最終回まで響き、僕たちは、地区予選トーナメント初戦敗退という、栄光の若葉野球部史に残る歴史的大敗を喫したのだ。

 勝った矢田2野球部の面々は、そんなこと思いもしなかったろうが、この試合の勝敗に、あの時のエロリズム攻撃による心理的要因が深く影響していたことは、決して否めない事実であった。

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えせいずむ!アキサワ☆まがじん。

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