DAIGO TERAOKA

 カジュアル ピアノ on the wave 

daigo カジュアルピアノ

―カジュアルピアノコンサート・応援サイト―

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このホームページは、ミュージックデザイナーとして活躍する、「DAIGO TERAOKA」さんを応援するページです。

毎年秋に開催されている「カジュアルピアノコンサート」をサポートしています。

 

DAIGOさんの公式ホームページはこちらから。

DAIGOさんが所属する音楽創作グループ
シークレッツ」のサイトに飛びます。

 

-最新コンサート情報-

 

  DAIGO TERAOKA カジュアルピアノコンサート 9

〜響鳴〜 

カジュアルピアノ掲示板

↑コンサートをご覧になっての感想はこちらへ。CPC公式掲示板です。

日時 2008年 10月11日(土) 今年は土曜開催!!
開場 18:00
開演 18:30
会場 サンエールさがみはら(橋本駅から徒歩10分)
  入場無料!! 先着200名
詳細 詳しくは、「シークレッツ」のホームページをご覧ください。

 

 DAIGO TERAOKA  CASUAL PIANO ON THE WAVE

 

「カジュアルピアノコンサート6」演奏曲

「One Way Road」も登場する 本格長編 青春小説

秋沢一氏 著

「風にうたう インマイライフ」

作品サイトへは、画像をクリック。

 

カジュアルピアノコンサート6

演奏曲目

 

秋沢一氏が語る「カジュアルピアノコンサート」

私が正式に企画・広報としてスタッフに名を連ねたのは、実はパート3から。

パート6のコラボ企画のMCでDAIGO氏は
「第1回から参加している」的なことを言っていたのだが、
あれはコンサートへの貢献に対する「返礼」だったのではないかと思う。

さらに詳しくいえば、パート2の直前期にコンサートの公式ホームページを立ち上げて、
パート2の開演は客席ではなく舞台ソデで見届けたので、
事実上パート2からスタッフとして参加したことになる。

パート6の終了と同時に、
カジュアルピアノの公式ホームページは「シークレッツ」の方へ移されることとなり、
パート2から続いた私の管理人としての役割は終わった。

掲示板・過去の演奏曲目など旧ホームページのコンテンツは、
全て新ホームページに譲ったので、このサイトは見事にカラッポになってしまった。

ただ、検索エンジンから入ってきてくれる方は未だに多いし、
公式ホームページへの「入口」としてだけ置いておくというのもむなしいので、
「応援サイト」という形で継続し、
「秋沢から見たカジュアルピアノコンサート」を紹介するページにしていければと思う。

考えてみれば、現在も公式ホームページに掲載されている「寺岡大悟・音楽論」以来、
DAIGO氏やカジュアルピアノコンサートについて言及する機会があまりなかった。

あまり難しいことを語るつもりはないので、
各回のコンサートが実現されるまでの「ルポ」「記録」「ドキュメント」として、
気軽に楽しんでいただければと思う。


カジュアルピアノコンサート パート1」(2000年3月4日)

カジュアルピアノコンサート パート2」(2001年9月8日)


「カジュアルピアノコンサート パート1」 (2000年3月4日)

中学3年のとき同じクラスで友達になった私とDAIGO氏だったが、
高校の3年間はほとんど交流はなかった。

その後、記録的な大雪に見舞われた98年1月の成人式
(「DAIGO=嵐を呼ぶ男」説の根拠として取り上げられることの多い事件)
の前後から再び親しく付き合うようになる。

私自身の「音楽をやりたい」という指向もあり、
発作的ユニット「シークエンス(C-quence)」を結成して、
断続的に何度かのセッションを重ねていった。

曲づくりのやり方としては、前期は、
私が作った駄曲をDAIGO氏がアレンジを加えながら修正していくという方法だった。

音楽的なポテンシャルの乏しい私は、
「作ろうと思って」メロディを作ることができないので、どうしても歌詞だけが余る。

そこで後期は、詞と曲を私とDAIGO氏で分業することが多くなった。

前期的な手法からは、パート6で披露された「One Way Road」ができたし、
後期的な手法は、DAIGO氏の所属する音楽創作グループ
「シークレッツ(C-creats)」に歌詞を提供するという形で今も継続している。

ただDAIGO氏というのは、今もそうなのだが、恐ろしく活発な人間であり、
シークエンスのセッションをしていた一年ほどの間にも、
「デリシャス」という名のバンドや大学のサークル活動などで常に動きまわっていた。

加えて私が浪人をしていたため、大学の入学年度に1年のズレがあり、
シークエンスの活動を始めた1年後にはDAIGO氏の就職活動が始まってしまった。

私自身も大学生活の後半に入って、文筆活動にも本格的に取り組みはじめていたので、
シークエンスはテレコで一発どりした数曲の楽曲だけを残して事実上の解散期を迎えた。

私としては、録音の技術やアレンジはともかくとして、
「素」の楽曲としてレベルの高いものを作っているという自負はあったので、
アレンジャー&プロデューサーとしてDAIGO氏の力を借りたかったし、
本格的に音楽活動を始めるのであればDAIGO氏をパートナーにしたいと考えていた。

しかし今から振り返って思うのは、モノとしての「完成形」を想定した場合に、
そこへ辿り着くまでに必要になってくる能力や技術の大半を
パートナー(相方)に期待してしまうことの不健全さだ。

自分が本当にやりたいと思うことなら、
それについて学んだり、技能を磨いたりすることは苦にならないはずなのだ。

シークエンスの一件で私が学んだのは、
一人で「完成形」まで作れてナンボ、ということだった。

私は自らのポテンシャルを再度見つめ直し、
良い意味での自己完結が可能な「文筆」の道へ進むことになる。

一方のDAIGO氏も、学生時代の音楽活動には満たされないものを感じていたのか、
就職活動を無事に終えると、
自身の学生時代における音楽活動の集大成ともいうべきライブイベント
「カジュアルピアノコンサート」へと動きはじめた。

パート1についてはスタッフとしては参加しなかったので、コンサートの黎明期において、
どんな準備が行われていたのかは想像するしかないのだが、
「寺岡大悟・音楽論」でも書いたように、
従来的なピアノコンサートの概念から飛び出そうとしていることは、
「カジュアルピアノ」というネーミングだけ聞いてもハッキリ分かった。

私は直前期に共通の友人であるA君からコンサートの話を聞き、
A君とともに一般客として観覧することになった。

ここでやや恥ずかしい告白になってしまうのだが、
私は「ある妄想」を抱きながら、会場であるサンエールさがみはらに向かった。

それは、DAIGO氏がコンサートでシークエンスのナンバーを演奏してくれるのでは、
という妄想だった。

笑われるかもしれないが、私自身はそれくらいシークエンスの楽曲に自信をもっていたし、DAIGO氏に与えた音楽的な影響を疑わなかったのだ。

皆さんご存知のように、この妄想は妄想のまま終わり、
先日のパート6までその夢が叶えられることはなかった。

しかし振り返ってみれば、当時はパート1ということもあって、
演奏のネタはDAIGO氏の頭の中にあふれんばかりだったし、
だからこそコンサートが実現したわけで、私が入り込む余地など初めからなかったのだ。

色々な面で、まだ私がこのコンサートに必要とされる状況にはなっていなかった。

会場には定員以上の人々が集まり、立ち見まででる有り様だった。
親しみやすい選曲で、時に笑いあり、時に美しいメロディーがある。
「受け入れられている」という実感を誰もが抱いた。私も思った。

コンサートは大成功だった。疑いようのない大成功だった。
でも、初めてのコンサートだから、他に比較できる対象がない。

その成功体験は、恐ろしい「油断」への引き金でもあった。


「カジュアルピアノコンサート パート2」 (2001年9月8日)

パート2は2001年の9月に開催された。

パート1は2000年の3月に行われたが、パート2以降は秋開催に変更されたため、
パート1〜2はCPC史上最長の1年半の間隔を空けて開催されたことになる。

パート1において大成功をおさめたDAIGO氏としては、
当然カジュアルピアノコンサートを定期的なイベントにしていくビジョンを抱いていたと思う。

就職したばかりということもあり、社会人としての責任を果たしながら、
限られた時間の中でどの程度の音楽活動ができるのか模索していたのだろう。

パート2の直前期に、共通の友人A君・S君を交えて4人でファミレスで食事をした。

2001年というと、私にとっては、人生の「どん底」だった。

大学を卒業したものの就職先は決まらず、
アルバイトをしながらコピーライター養成講座に通い、
ひたすら「暗中模索」していた時期だった。

客観的に見れば「地獄の季節」だが、
この時期に苦しみながら吸収したことが後々の展開につながっていることもまた事実だ。

中でもインターネット。
2001年の段階で、個人のサイト「えせいずむ!アキサワ☆まがじん。」と
コピーライター養成講座のサイト「好きなら好きと言いなサイト!」の2つを開設していた。

媒体として成功したかどうかは二の次で、
サイトの運営をしているからこそ、他の人に先んじて「実感」できたことが色々ある。

それは例えば、ネットという媒体と文筆(特に小説)の相性の悪さや、
結局ネットに求められるのはコミュニケーション(おしゃべりの延長)であるということ、など。

前者は要するに読むスピードの問題で、
ネットと本では同じ文字でも求められている性質が全く異なる。

一時期流行ったネット小説は、ほぼ絶滅した。

後者は、当初は誰もが「自分のホームページをもちたい」「情報を発信したい」
と思ってサイトを開設したものの、
「更新は面倒臭いし、書くネタも日常の雑記くらいしかない」という現実に気づいた結果、
必要最低限の日記と掲示板を組み合わせ、
コミュニケーションに特化したサイトとしてのブログ(ウェブログ)に受け継がれる。

2001年頃は、自分の創作活動を考えた場合に、
インターネットをどのように活用できるのか、あるいはできないのか、
その辺りの実験を積極的に行っていた時期でもあった。

相模原市内のファミレスで食事をしながら、
DAIGO氏にカジュアルピアノコンサートのホームページ開設を提案して、
公式ページ「カジュアルピアノクラブ」が誕生した。

未熟だったと思うのは、
私もDAIGO氏も「ホームページさえ作れば何とかなる」と思い込んで、
ホームページの効果に過剰な期待を寄せてしまったことだろう。

この時点で、私に広告屋としての実務経験がなく、
広告の力に対する「甘い幻想」を拭いきれていなかったこともひとつの要因だろうと思う。

駅貼りポスター、スーパーアルプス各店舗のポスター、
「ご自由にお持ちください」のビラ、DM・・・、告知の方法として遺漏はないように思えた。

多くの観客を集めたパート1と同じようにやれば、同じように人が集まる、はずだった。

当日。サンエールさがみはらの大ホールが開場された。

昨年は一般客として受付に並んだ私は、ホームページ開設のこともあり、
今回はスタッフとして楽屋のモニターで会場の様子をDAIGO氏と一緒に見ていた。

出足が悪い。

昨年は開場とともに埋まっていったモニターに写る客席前列にほとんど動きがなかった。

何人かのスタッフが楽屋から出ていき、戻ってきてはロビーの様子を伝える。

昨年の盛況を知っているスタッフたちは、「これからですよ」とDAIGO氏を励ましている。
しかし開演の時間が迫っても、結局大ホールの座席が埋まることはなかった。

DAIGO氏は、明らかにテンションを落としていた。

期待が大きかっただけに、そのショックの反動も大きかったのだろう。

その日は、コピーライター養成講座の講義が入っており、
私はカジュアルピアノコンサートの開演を見届けたら、
その足で東京へ向かわなければならなかった。

この状況で、DAIGO氏にかけるべき言葉は何だろう。

スタンバイのため舞台ソデの暗がりに立ったDAIGO氏に、私は言った。

「来てくれた人を、がっかりさせてはダメだ」

「そ、そうだな」

グランドピアノに向かう後ろ姿を見届けた。

そして、演奏が始まった「START!」のメロディーを背中で聞きながら、
私はサンエールさがみはらを後にした。


 

-INFORMATION-

 

  DAIGO TERAOKA カジュアルピアノコンサート 9

〜響鳴〜

日時 2008年 10月11日(土)今年は土曜開催!!
開場 18:00
開演 18:30
会場 サンエールさがみはら(橋本駅から徒歩10分)
  入場無料!! 先着200名
詳細 詳しくは、「シークレッツ」のホームページをご覧ください。

 

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