富士登山 vol.1「プロローグ」

 その存在をふと思い浮かべるだけで、こんなにも心の持ちようが変わるものだろうか、と僕は思った。

 富士山。言わずと知れた、日本一の高さを誇る山である。

 6月末のある朝、通勤途中の駅の通路を歩いている時に、「今年、登ろう」という決意めいた感覚が僕の心を捉えた。

 その段階で、頂上まで登るのに何時間くらいかかるものなのか、どんな装備が必要になるのか、予備知識は全くなかった。

 ただ、「今年、登ろう」という決意だけが、不思議なくらいに迷いなく固まっていた。

小御岳神社から望む富士山


 7歳か8歳の頃、僕は富士登山に挑戦したことがある。もう20年も前の話だ。

 今は年老いてしまった父母も、当時はまだまだ若く健康的だった。

 父は登頂の経験があり、母は初挑戦だったと思う。

 子供もそれなりに大きくなったので、夏休みのレジャーの一環として、僕たちを富士登山という冒険に連れ出してくれたのだろう。

 しかし、その時の富士登山で、僕は大きな挫折を味わった。

 忘れもしない。登山道の八号目で気力・体力の限界を迎え、下山を余儀なくされたのだ。

 年齢は問題ではなかった。現に5つ上の兄、1つ上の従姉には、まだまだ余裕があった。

 そう、僕はまがうことなき「虚弱児」だったのだ。

 自らの挑戦が不幸な結果に終わるだけならいい。

 問題は、母や兄、そして従姉の富士登山という素晴らしい挑戦を中途半端な形で終わらせてしまったことだった。

 当時はとにかく体力的に苦しく、その苦しみから逃れるために登頂を諦めた僕だったが、年齢を重ねていくうちに「もう少し頑張れたのでは?」という後悔を抱くようになった。

 今日まで続く自分のウィークポイント「精神面の弱さ」を象徴するものとして、富士山という大きな山は、僕の心の中に存在し続けていた。


 もうひとつ、僕の心を富士山に向かわせた大きなきっかけは、植村直己の著書『青春を山に賭けて』(文春文庫・刊)との出会いだった。

 植村は世界五大陸の最高峰を制覇した世界的な冒険家であり、この本は制覇後に雑誌等に連載された冒険記を一冊にまとめたものだった。

 大学の著名な先輩でありながら、あまり詳しくは知らなかった植村の足跡を確認しておこうというくらいの軽い気持ちで本を手にとった僕だったが、読み進むうち彼の冒険の世界にどっぷりと引き込まれることになった。

 僕は、その華やかな冒険の経歴から、天賦の素質に恵まれた「天才」冒険家のイメージを植村に対して抱いていたのだが、彼が本格的な登山を始めたのは実は大学入学後であり、山岳部に入部した動機というのもあまり積極的なものではなかった。

 そんな青春の戸惑いの中から見つけた「登山」に自らの進むべき道を見つけ、のめり込み、やがては世界の冒険史に偉大な足跡を残すことになる植村の自伝は、「ズブの素人」を出発点としているが故に、ジャンルを超越した「青春記」としての感動と共感を読者にもたらす。

 偉大な冒険を成し遂げた人物であるのに、全くえらぶらず、飾り気のない真っ直ぐな文体にも彼の人柄が現れていて、僕は一気に植村に惚れ込んでしまった。

 『青春を山に賭けて』というタイトルも素晴らしい。

 なんとも胸を熱くさせる、心おどるタイトルだろうか。

 そして、巻末の「文庫版あとがき」の中で、植村はこんなことを書いている。

『私は五大陸の最高峰に登ったけれど、高い山に登ったからすごいとか、厳しい岩壁を登攀したからえらい、という考え方にはなれない。山登りを優劣でみてはいけないと思う。要は、どんな小さなハイキング的な山であっても、登る人自身が登り終えた後も深く心に残る登山がほんとうだと思う。』

 五大陸の最高峰を極めてなお、こうした言葉を登山の真理として残せる。

 ものすごくスケールの大きい男だ。

 「山男にゃ惚れるなよ」というが、心底男惚れする。

 そして、この言葉が、一度は挫折している富士登山の再挑戦へと、僕を駆り立てた。

 植村直己の言葉として、もうひとつ素晴らしいものをネット上で見つけたので、紹介しておく。

植村直己が僕に残してくれた言葉

(元ページ)青春を山に賭けて

(元ページ)An encounter & impressed Homepage

 この言葉も『青春を山に賭けて』からの引用だそうだが、僕は自分の持っている文庫版の中にこの一遍を見つけられなかった。

 もしかしたら単行本にのみ掲載されていたものなのかもしれない。

 いずれにしても、読む者を感動させ、勇気づける素晴らしい言葉である。


 そしてもうひとつ、今年登らなければならない理由があった。

 植村直己の『青春を山に賭けて』に出会った時、僕は既に20代の後半にさしかかっていた。

 もはや「青春」を口にするのはおこがましい年齢になっていたわけだが、実際の青春期に青春らしいことを何ひとつ経験してこなかったという自覚を持つ僕としては、20代の終わりまでを「失われた青春」を取り戻すための「延長戦」として位置づけていた。

 そこには、子供の頃に失敗して以来、心の重荷になっていた富士登山も当然含まれていたし、誰かを愛し人並みの幸せと苦しみを味わうということも含まれていたと思う。

 そして、そんな青春の「延長戦」も最終コーナーを廻った頃、この2つの希望は不思議な関連性をもって僕の目の前に現れた。

 久しぶりに感じる心の震えの中で、僕は二人分の未来を描き、同じ夢を見ることを夢みた。

 しかし、悲しいことに、夢は夢のままで、叶えられることはなかった。

 本当に短い時間の中で、交わされた言葉の一つひとつは、心の奥底に「地雷」のように埋められて、その鮮やかさゆえにかえって僕を苦しめていた。

 富士登山をめぐる言葉もその例外ではなかった。

 いやむしろ、その言葉こそが、2つの夢を重ね合わせて見ていた僕を最も苦しませるものだった。

『でも、どうしても隠しきれないことがある。心が片輪になっている、その時だ』(ジョン・レノン「Crippled Inside」)

 夢の半分がぽっかりと欠け、僕の心は片輪になっていた。そんな僕が、もしも20代での富士登山という、もう一つの夢さえ実現できなかったら、僕は自分の青春の「延長戦」に完全に敗北することになる。

 たとえひとつの夢を叶えたところで、もうひとつの夢がどうなるわけでもない。それは事実だった。

 しかし、どうしようもない想いを抱えたまま、どうしようもなく青春の延長戦を終えるのだけは、どうしても許せなかった。

 僕は夏のはじめに、誕生日を迎える。1977年生まれの僕は、来年の夏には30歳になってしまう。富士山は夏しか登れない・・・。

 迷う理由は、もう何もなかった。


富士登山 vol.2「丹沢大山へ」

 

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