富士登山 vol.2「丹沢大山へ」

 かつて、幼い僕を連れて富士登山を目指した両親は、準備段階でガイドブックか何かを参考にしたのだろうか。

 時間の流れを感じる。

 今は、情報を得ようと思えば「まずはインターネット」という時代になった。

 富士山のようなメジャーな山になると、登山ガイド的なサイトはたくさん存在する。

 そんな中で最も参考になったのが「あっぱれ!富士登山」というサイトだった。

 各ルートの平均的な所要時間が載っているのはもちろん、必要な装備や注意事項、写真入りのルートガイドもあり、登山のポイントが一目瞭然にまとめられていた。

 僕が選択しようと思った登山道は、「河口湖口」と呼ばれるルートで、登りは5時間30分、下りは3時間が平均的な所要時間(休憩を含まず)と書いてあった。

 子供の頃に一度挫折していること、あまり自信のない自分の体力も考慮に入れて、僕は登りの所要時間の目安を約6時間と判断した。

 歩き通しで6時間である。スポーツマンならともかく、普段から運動不足を自認している僕には、かなり厳しそうに思えた。

 しかし、挑戦を諦めるわけにはいかない。

 既に6月末になっていて、7月中には登りたいと考えていたから、短期間で富士登山に向けて体力を整える必要があった。

 色々と考えた結果、身体を一気に登山モードに切り替えるため、「ショック療法」的に近場の山に登り、その後は家の周辺でランニングなどをして体力を維持しようと考えた。

 登る山は、かつて中高生の頃に一度登ったことがある丹沢の大山に決めた。

 実は子供の頃から、正月には毎年のように訪れている山で、ケーブルカーの終点にある阿夫利神社下社は、僕の家族にとって氏神のような存在でもある場所だった。

 以前、頂上まで登った時は、これまた両親についていくだけの登山だったので、改めて「ハッピーの山歩」というサイトを参考にして所要時間などを調べた。

あっぱれ!富士登山

ハッピーの山歩


 7月1日の土曜日。昼ごろ家を出て、大山に向かった。

 前日の夜は遅くまで仕事をしていたため、十分な睡眠時間を確保できず、体調は万全ではなかった。

 天候も梅雨の真っ最中で、家を出た時は、かろうじて雨が降っていないものの、深い曇天だった。

 参道の入口にある市営駐車場に着いた頃、ついに雨が降り出してしまう。

 しかも、かなり大粒の雨だった。

 とりあえず、先に着替えなどを済ませて、車の中で待機して様子を見ることにした。

 エンジンを切ってワイパーは動かない。フロントガラスの余白を、大きな雨粒が点描画のように次々と埋めていく。

 外は、ズブ濡れになってしまいそうな雨。車内の僕は全く濡れない。

 まるで、このまま完全に外界と切断されてしまいそうな、そんな感覚があった。

 ふと気がつくと、外は小雨になっていた。決断が鈍らないうちに、出発した。

 今回の大山は、あくまでも仮想・富士山。全てが富士登山に挑戦するための予行演習だった。

 そのため荷物や装備も、「あっぱれ!富士登山」を参考に、富士登山を想定したものを準備した。

 それらを実際の登山で試すことによって、本当に必要なもの・必要でないものが分かってくると考えたのだ。

 石畳に大山名物のコマが描かれた参道の階段を登った。

 子供の頃は、登る度に数が増えていくコマが楽しくて、お正月の気分の高まりもあって、嬉々としながら歩いた記憶がある。

 今はコマの塗装も剥がれ、知らなければ気づかずに通り過ぎてしまうかもしれない。

 毎年正月に初詣のために歩くこの参道だったが、正月と違って人が少ないためか、荷物を背負っているにもかかわらず、あっという間にケーブルカーの発着点「追分」まで着いた。

 初詣の際にはケーブルカーを利用するが、今回は登山そのものが目的のため、脇道の方へ進み、阿夫利神社下社に向かう登山道に入った。

 阿夫利神社下社までの登山道は、男坂と女坂の、二通りある。

 名前のイメージの通りに、男坂の方が勾配がきつくなっている。

 富士登山を想定した場合、自分のペースを保ちながら、時間をかけてゆっくり登る練習をするべきなので、女坂を選択した。

 まさに登りはじめようと思った時、突然雨足が強くなった。

 さっき駐車場にいた時のように、糸を引くような雨が地面に落ちてくる。

 たまらず、登山道の入口に建っているお堂の軒下に駆け込んで、雨やどりをした。

 雨はなかなか弱くならない。

 同じお堂の軒下で雨やどりをしていた中年の女性二人連れがカバーをザックにかぶせて、雨の中を歩きはじめた。

 「あっぱれ!富士山」の装備品の中に、ザックカバーはリストアップされていたのだが、買いに行く時間がなく、必要性を感じながらも、大山には持ってきていなかった。

 二人の後ろ姿を目で追いながら、「あれは絶対に必要だ」と身を持って感じた。

富士山五合目、駐車場より。


 ザックカバーなしで荷物を雨から守るため、考えた結果、ザックを背負った状態で大きめのウインドブレーカーを上から着て、ザックカバーの代わりにすることにした。

 富士山と異なり、大山は標高が低いので、登山道は緑に覆われている。

 木の枝や葉っぱが雨よけになるので、多少の雨ならびしょ濡れにはならない。

 しかし、女坂を登りはじめると、雨のせいで湿度が異常に高く、蒸し暑いのでウインドブレーカーなどとても着ていられない。

 雨というよりは、自らの汗で髪の毛がびしょ濡れになった。

 ザックは無視して、ウインドブレーカーを脱がざるをえなかった。

 大山の登山道は、岩が階段状に整備されている。

 足の裏をしっかりと確実に岩の上に踏み下ろしていけば、滑ることもなく、力強く登っていけた。

 ケーブルカーの中間地点である「不動前」駅の近辺までは、体力的にきついということはなく、順調に進んだ。

 身体が悲鳴を上げはじめたのはそこから先で、ゴツゴツした階段状の岩を足を高く上げて歩くため、股関節が痛くなってきた。

 一通りの準備体操はしていたものの、もも上げとか深いアキレス腱運動などはしていなかったので、衝撃を十分に吸収できず、ダメージを蓄積してしまったようだった。

 「やばいなあ」と思いながらも、頻繁に立ち止まりつつ、少しずつ進む。

 疲れならともかく、明らかな痛みだったため、休憩を入れてもすぐには回復しない。

 追分〜不動前間では、何組かの登山者とすれ違ったが、もうしばらく他の登山者の姿を見ていない。

 知っている道とはいえ、心細くなった。身体にダメージを受けると、弱気な気持ちにもなる。

 下社までの道のりは、いわば「序盤の序盤」である。ここでこんなグロッキー状態になっていては、大山はおろか富士山登頂などとても無理だ。

 足が思うように動かない状態のまま、しかし気力だけで登り続けた。ようやく阿夫利神社下社近辺の見覚えのある風景が見えてきた。


 ふらふらになりながら、休憩所まで歩いた。

 三軒並んだ茶屋の前を通った時、真ん中の「さくらや」のおかみさんに「お兄さん、頂上まで行くの?」と声をかけられた。

「びしょ濡れじゃない。傘を貸してあげようか?」

「一応、折りたたみを持ってきてるんですけど、さした方がいいですかね?」

 富士山を想定していたので、傘は基本的に使わない方向で考えていた。

 おかみさんは、僕のびしょ濡れの髪の毛を雨のせいだと思ったらしい。無理もないことだった。

「頂上まで、往復で3時間はかかるわよ」

「上のほう、天気どうですか?」

「この辺と、あまり変わらないと思うわよ」

 阿夫利神社下社近辺は、濃霧が立ち込めていた。

 これ以上進むのは難しいかもしれないと思いながら、休憩所のベンチで少し長い休憩をとった。

 ベンチに座りながら、しばらくの間、考えていた。

 一度登ったことのある道とはいえ、かなりの濃霧。無理をするのは危険だ。

 迷った末、行けるところまで行き、どうしても厳しくなったら引き返そうと決断した。

 阿夫利神社下社にお参りした。体力と天気がもちますように、と祈る。

 神社の裏手に回り、本登山道の入口となる門をくぐった。とても長く、急勾配の石の階段が続いている。

 休憩の効果か、お参りのご利益か、さっきまでの股関節の痛みがウソのようにひいていることに気づいた。足が軽くなっている。

 心の持ちようも、だいぶ変わっていた。

 股関節にダメージを受けて弱気になり、さらに下界から持ち込んだ富士山をめぐる様々な想いが心に絡みついて、重りになっていた。

 登山は長い時間をかけて歩くものだから、そうした想いや迷いは頭の中で飽きるほどに繰り返される。

 でもそうして頭の中をかき回すうちに、余計な想いはどこかに飛んでいって、とにかく足を動かして、ひたすら頂上を目指して登るということしか考えなくなる。

 これが「クライマーズ・ハイ」というものなのか、身体の苦しさも、心も苦しさも、不思議に突き抜けてしまう瞬間がある。

 途中、草陰にイノシシの親子の姿を見た。僕の足音を聞いて、さっと逃げる二匹のおしりが見えた。

 「富士見台」という場所に着いた。

 晴れていれば、丹沢山の向こうに富士山の山頂が見えるという。

 あいにく曇っていて、その姿を望むことはできなかったが、僕の心の中には確かに、今回の挑戦の大きなターゲットである富士山が見えていた。

 ヤビツ峠からの合流点を過ぎると、もう少しで大山の山頂に着く。

 最後の真っ直ぐな登り坂を進むと、「ハッピーの山歩」にも写真が載っていた阿夫利神社本社の石碑が見えた。

 不思議なことに山頂に近づくにつれて、まるで登頂成功を祝福するかのように、空が晴れてきていた。

 下界の深い曇天がウソのような穏やかな青空の中に、古い祠がひとつポツリと建っている。

 何ともいえない趣きがあり、同時に一種の「霊性」のようなものを感じさせた。

 予想外の快晴に対する感謝を込めて手を合わせ、同時に富士登山の成功を祈願した。

 山頂には、山小屋の人と僕を含めた登山客が2〜3人しかいなかった。歩くのを止めると、さすがに山の頂上、すぐに身体が涼しくなってくる。

 ウインドブレーカーを羽織って、息を整え、持参したおにぎりを食べた。

 山頂は晴れていたが、下の天気が気になる。早めに下山を始めなければという気持ちが働いた。

 山頂での滞在時間は、わずか20分ほどだった。


 下山時は、雨で濡れた岩や土が多少滑る感じがあったが、身体の動きも快調でテンポよく進めた。

 途中、青大将かと思われるヘビや、巨大なカエルに遭遇した。

 特にカエルは、そこを通るためには必ず足を下ろさなければならない岩の上に陣取っていた。

 前を行く登山者がこのカエルに反応した様子はなかった。

 いったい、いつここに現れたのか。

 立ち止まって近づいても、まるで置き物のように動かず、ピクリともしない。

 僕は、このカエルは「大山の神様」の化身だろうと思った。

 その落ち着いた風格、突然に現れた不思議、そうとしか思えなかった。

 僕は軽く手を合わせてから、小さな石を拾って、カエルが乗っている岩の端にコツリと当てた。

 全てを理解したかのように、カエルはのそのそと動いて、道をあけてくれた。

 結局、往復3時間と「さくらや」のおかみさんが言っていたペースを上回る2時間程度で、阿夫利神社下社まで下りてくることができた。

 長い石段の降りると、大きな達成感が全身を包んだ。

 阿夫利神社下社に、願いごとを書き込んだお札の「炊き上げ」ができる場所がある。

 正月の初詣の際には、他の参拝客も多く、何となく気恥ずかしさもあって、そうした祈願をできない僕だった。

 今回は参拝客も少なく、自分の心も澄んでいて、素直にそうしたものに願いを預けてみたいという気になっていた。不思議だった。

 心願成就から良縁成就まで、およそいまの僕に必要と思われる願かけを一気に5本分お札に書いて炊き上げた。

 下社からの石段を下りて、「さくらや」の前を通ると、おかみさんが声をかけてくれた。

 店に入ると、温かいお茶と漬物を出してくれた。

 塩気のあるものが食べたくなって、ラーメンを注文した。

 下りのケーブルカーの終了時間が近いらしく、おかみさんは店先で登山客に駅に急ぐように声をかけていた。

 ダシのよく効いた美味い醤油ラーメンを食べながら、おかみさんと話し込んだ。

 僕は子供の頃から大山をよく知っている。

 昔は、正月にも、今よりもっと多くの参拝客が訪れていたように記憶していた。

「昔に比べると、少なくなったね。今は、お正月と紅葉のシーズンかな、一番お客さんが多いのは」

 おかみさんはそう言って笑った。

 おかみさんは「さくらや」の4代目だそうで、賑やかだった頃の大山の話を色々としてくれた。

 山は人を素直にさせる。人の優しさや豊かさに、純粋な感動を覚える。

 名刺を渡そうと思ったのだが、車の中に置いてきてしまっていた。

 結局、こちらの正体は明かさず、お礼だけ言って下山した。

 登りで苦戦した女坂も、下りは順調でかなりのペースでクリアすることができた。

 「追分」の駅から駐車場へ続く参道は、ケーブルカーの最終客を迎えた後のためか、もう店じまいの雰囲気になっていて、どことなく寂しかった。

 駐車場につき、服を着替えて、車を出した。

 そのまま鶴巻温泉を目指した。

 以前、その近くに住む仲間から、「大山登山の帰りに鶴巻温泉に立ち寄るのが昔からの風習になっている」と聞いていた。

 僕にとっても、その時々の「ターニングポイント」だったその場所。

 ちょうど二ヶ月前の「事件」の際にも、導かれるように訪れてしまった場所。

 たまには、余計な考えも迷いもなしに、そうした歴史や伝統や風習に静かに身を任せてみるのもいい。

 身体の疲れと心の疼きを温泉のぬくもりの中に浸して、帰路についた。

「さくらや」のホームページ


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