北海道旅行記 〜岬めぐり〜 第3章

 僕の人生の中で、船に乗る時に誰かに見送られるという経験は、おそらく初めてだったと思う。

 沖館港のフェリーターミナルで乗船手続きを済ませ、接岸している東日本フェリーびるご号の方へ歩いた。フェリーは船尾を陸に向けて、車を搬入するためハッチを開いていた。

 叔父と叔母に手を振り、僕はハッチからフェリーに乗り込んだ。車両庫の脇から伸びる金属製の階段に足をかけるまで何度か振り向き、二人に手を振った。

 荷物を2等船室に運び込む。出航まではもう少し時間があったが、客の姿はまばらだった。北海道の10月はもうオフピークであるらしく、観光客というよりも地元の人たちが多かったようだ。

 2等船室はカーペット敷きのザコ寝ゾーンだったが、この路線を利用し慣れた雰囲気の老人たちは、さっそく毛布と枕をセッティングして文字通りの「ザコ寝」をはじめている。たくましいなあ、と僕は思った。

 昼の1時30分に青森を出航するこのフェリーは、夜の8時過ぎに北海道・室蘭に到着する予定だった。かなりの長旅である。室蘭での宿泊先はビジネスホテルを予約してあったが「素泊まりプラン」のため、食事をどうするかという問題もある。ひとまず船内のレストラン・売店などをチェックするため、船室を出た。

 売店はおみやげやスナック菓子といったものしか売っていないようで、それなりに腹にたまるものを食べるには、夕方のレストランのオープンを待つしかなさそうだった。自販機はたくさんあった。

 あとの問題は「ひまつぶし」をどうするかである。

 ゲームコーナーがあったので、中を覗いてみる。「バーチャストライカー2002」のコンピューター対戦なら100円で30分くらいもたせる自信があったのだが、そこにあったのは「動きがカクカク」している旧式のバーチャストライカーだった。

 うーむ、と唸りながら、ひとまず甲板に出てみることにした。

 快晴までとはいかないが、青森の市街がよく見渡せた。周囲を一望すると、自分が下北半島と津軽半島に囲まれた湾の中にすっぽりと収まり、いま立っている場所を地図の上で確認できたような気分になる。

 僕の住んでいる神奈川と地続きである本州の北の果てだった。地図上で見るのと同じ地形をはっきりと感じられる場所、そんな場所に立つのが好きだった。

 船尾では、家族で青森の親戚の家にでも遊びに来ていたのか、四人連れが岸にいる二人に手を振っていた。一段上の甲板から僕はそれを眺めていた。

 汽笛が鳴り、フェリーは沖館の港を出港した。動き出すと、沖合いの冷めた空気が一気に甲板に流れ込んできた。荷物を運び込んだ2等船室が暑かったので服を一枚脱いでいたのは失敗だった。

 日が出ているうちは船上からの景色を楽しもうと思っていた僕は、防寒を万全にするため、一度船室に戻った。


 再び甲板に出ると、フェリーのスクリューが作る2筋の線が、接岸していた港からまっすぐ北に向かう航路を海面に描き出していた。

 潮の香りに満ちた風にさらされるのは心地よい。しかし肌寒い。フェリーの側面にエンジンの熱を逃がすための換気口のようなものがあり、その近くに立っていると寒さはしのげた。

 白い塗装がはがれかけた手すりに手をかけ、遠くへ小さくなっていく青森の市街を眺めた。他の乗客は船室にこもっている。普段からこの航路を利用している人たちにとっては珍しくもない寒々とした風景なのだろう。

 やがて、前方の視界がひらけた。一瞬、津軽海峡に出たのかと錯覚するのだが、津軽半島と下北半島に挟まれるような格好で陸奥湾に突き出た夏泊崎を通過しただけだった。

 出航以来ずっと東側に見えていた夏泊崎を通過するだけで、かなりの時間を要したように感じた。そこから深く東に湾曲した入り江の向こうにむつ市の大湊があるはずだったが、距離があるため僕の目には届かない。

 北に突き出した下北半島のスケールの大きさを感じた。

 今回の旅では、これまで訪れたことのなかった恐山や青函トンネルの通過も考えたが、行程の都合もあって断念していたので、せめて船上から眺めることで確認しようと思っていた。

 陸奥湾の出口・平館海峡は、下北半島の突き出た先と津軽半島が直線距離で約20?ほどに接近しているので、かなり近くに海岸の岩肌を確認できる。

 右手に仏ヶ浦の厳かな静けさを感じながら、西側に目をやれば津軽半島の突端にある竜飛崎と、その向こうに北海道の松前半島が見える。

 その下に青函トンネルが走っているのだ。直線距離で捉えると意外に近く感じられる。しかし冷静に考えると、トンネルはそのさらに下の海底にあるのだ。そう考えると、これまたすごいスケール。まさに「プロジェクトX」だなと思う。

 津軽海峡に出てしばらくすると、海上に浮かんだブイを目印にフェリーは東に旋回した。下北半島の突端・大間崎をなめるように進んでいく。

 船内の2等船室はすっかり仮眠室と化していた。船室にもテレビがあるのだが、寝ている人がいるので遠慮して誰もつけない。売店の近くのロビーにテレビがあるので起きている人は集まってくる。

 テレビではプロ野球パ・リーグのプレーオフ「西武×日本ハム」の最終戦が流れていた。室蘭に向かうフェリーのため、そこで観戦している人のほとんどは日ハムを応援している。しかも、かなり熱い。

 04年はプロ野球界大荒れの年だったが、こうした様子を見ていると、やはり地域に根づいたチームが存在するというのはいいことだと実感した。

 海上のため電波が届きにくいのか、津軽海峡の真上あたりにくると画像が乱れて砂嵐になってしまう。たまたまチャンスで、新庄や小笠原に打順が回ってきているときに画像が乱れると大変である。

 試合が盛り上がり、佳境に入ったところで放送時間が終了。「うそだろ〜」という声が船上に渦巻いたのは言うまでもない。

 他に試合の行方を確かめる手段もなく、極めて消化不良のままニュースの時間を待たねばならなかった。


 日が暮れてしまうと、もう海上からの景色には期待できない。

 気温もぐっと下がり、漆黒の闇の中で波を切る音だけが大きく聴こえてくるので、むしろ恐怖心すら湧いてきてしまう。

 行きなれた湘南の砂浜であっても、空との境目が分からなくなる夜の海はとても怖い。ましてや今は初めて訪れる北の海で、しかもフェリーの上である。

 日が落ちてからは船内にこもった。

 「景色」という最高のひまつぶし手段がなくなると、急に退屈に感じられてくる。景色など既に見飽きているであろう、2等船室の老人たちが乗船と同時に寝はじめた理由も分かる。

 僕はこうなった場合の最終手段・ゲームコーナーを利用することにした。ゲーマーではないので、できるゲームは限られている。サッカーゲームのバーチャストライカーである。

 普段からやり慣れている2002年版なら多少自信はあったのだが、明らかに動きがカクカクしている旧版だったので結構苦戦する。かなりの100円玉が消えていった。

 同じフェリーには、行き先である室蘭にあるらしいどこかの高校のサッカー部一同が乗船していた。彼らがそろいのジャージを着ていたので分かった。乱入可能のゲーム機なら、きっと「船上サッカー:神奈川代表×北海道代表」の1戦が行われたであろうが、彼らは普通に格闘ゲームなどをやっていた。

 波は穏やかで、あまり揺れない。だいぶ空腹にもなっていたので、レストランの開く時間までゲームコーナーで時間をつぶした。

 やはり他の乗客も腹をすかせていたのか、開店と同時にレストランに人が押し寄せた。

 叔父の家での夕食、昼食と海鮮づくしだったので、あえて普通っぽいものを食べようということで「かつ重」を注文する。室蘭での宿泊先は「素泊まりプラン」であるため、翌日の昼食までまともなものを食べられない可能性が高かった。

 なので、ある程度ボリュームのあるものを食べておくことにしたのだ。フェリーのレストランということで全く期待していなかったが、それなりにうまかった。

 食事を終えてロビーを歩いていると、僕と同じ2等船室でずっと携帯ゲームをやっていた大柄な男が、自販機のカップヌードルを食べていた。レストランを利用するよりかなり安あがりである。

 さすがだなあ、と感心しながら船室に戻ると、出航以降ずっと寝ていたオジさん・オバさんたちが起き出していて、「持参した弁当」を食べていた。

 たくましいなあ、と僕は思った。上には上がいるものである。

 津軽海峡から北海道の沿岸に近づくと、テレビの電波が安定してくる。ニュースは、日ハムが西武に敗れ、ダイエーの待つセカンドステージへの道が閉ざされたことを伝えた。一様にがっかりとしたムードが漂った。

 サッカーのU−19の試合がはじまり、サッカー部の面々がテレビのある場所に集まってくる。平山相太選手が出場していた。

 サッカーを観ながら荷物をまとめて、下船の準備をした。いよいよ北海道へ上陸である。フェリーは内浦湾をうすくなめて東に大きく旋回しながら、室蘭の港にゆっくりと入っていく。

 船室の窓から、測量山のカラフルにライトアップされたテレビ塔や海をまたぐようにかけられた白鳥大橋が見えた。

 事前にインターネットなどで調べてはいたが、どうしても表面的な情報しか集まらない。夜に着くということもあり、宿周辺の地図などは最低限のツールとして用意していたが、それほど詳しい地図でもない。

 行き当たりばったりで街の感触をつかんでいく、そんなノリが放浪の旅らしくていいのだろうと思っていた。


 乗船の際には後部ハッチからだったが、下船は飛行機のタラップのような通路からフェリー・ターミナルに降りる。

 室蘭のフェリー・ターミナルは青森のそれと比べると立派な建物で、待合室のゲームコーナーはかなり大きく、そこに「バーチャストライカー2002」があるのを発見して僕は思わず苦笑いをしてしまった。

 室蘭は、僕の利用した青森航路の他、八戸、直江津へもフェリーが出ており、交通手段としてのフェリーの重要度が高いことがうかがえた。

 金を節約するため、可能ならば宿のある街の中心部まで歩いてやろうかなどと思っていたのだが、暗いのでやはり右も左も分からない。あきらめてタクシーに乗車、運転手にビジネスホテルの名前を告げた。

 車窓から見た街の印象は、とにかく静かだった。まだ8時前後なのだが、車も少なく人影もまばらだ。測量山のテレビ塔はライトアップされ、商店街のアーケードにも明かりがともっているのだが、店のシャッターは閉まっている。

 そんな商店街の中にあるビジネスホテルの前でタクシーを降りた。中に入ると、宿泊客が1階にあるレストランでバイキング形式の夕食を楽しんでいる。

 何故か意外な気がしたのは、自分が既に食事を済ませてしまっていたことに加えて、タクシーの窓から見た街の風景があまりに静かだったので、すっかり今が「深夜」であるような錯覚に陥っていたのだ。

 フロントには、20歳そこそこの女性が立っていた。なかなかの美女だ。さすがモーニング娘。の「なっち」を輩出した室蘭である。(「疑惑」に対するバッシングも、ついつい甘めになってしまうのである…)

 ともあれ、どさん子美女「観賞旅行」にも期待を抱きつつ、ルームキーを受け取って自分の部屋に向かった。

 部屋は、何のことはない普通のシングルルームだ。ベッドサイドの台にタウンマップのようなものが置かれ、その下の棚にキリスト教の聖書、般若心経、そして子供向けのような絵本が1冊だけ並べてあった。

 聖書や般若心経はホテルの定番としても、絵本は珍しい。手にとりパラパラとめくって、棚に戻そうとしたとき気づいた。

 その絵本の版元は、僕がまさに自作の小説の出版を検討している最中の「S社」だったのだ。ウソだろ、と僕は声に出してつぶやいた。

 急いで著者のプロフィールを見た。地元になじみのある著者で、ホテルの関係者とのコネで「置かせてもらっているのかもしれない」と思ったのだ。奥付もチェックしたが、詳しいことはよく分からなかった。

 S社は僕の勤めていた会社と同じ南青山にあり、僕自身にはなじみのある出版社だったが、一般の知名度はさほど高くない。今回の旅でも、時間があれば旅先の書店に立ち寄って、S社の本の陳列状況を調べてくるつもりでいた。

 しかし、こんな形で出くわすとは思いもよらなかった。たまたま訪れた街のビジネスホテルの、適当に割り当てられた部屋で、しかも聖書と般若心経と一緒に置かれているとは…。

 たいして信心深くない僕でも、何かを感じざるをえないような偶然だった。

 テレビをつけると、フェリーの中でもやっていたU−19のサッカーの試合が続けられていた。延長戦に入っていて、長引いている様子だった。

 ひとまず街を歩いてみようと、地図だけもってホテルを出た。商店街を抜けてしばらくすると室蘭駅があった。室蘭はかぎ針のように海に突き出た地形なので、駅も「終着点」の様相を呈している。

 駅前のバス停で、明日利用するバスの乗り場と時刻表を確認した。

 大きなショッピングセンターは長崎屋があるくらいで、昔ながらの大規模な商店街が十分に機能している街のようだった。他には大きなパチンコ屋が1軒。

 飲み屋もたくさんあったが、行きずりの客を受け入れてくれるような店なのか計りかねたので遠慮することにした。

 コンビニに入り、夜食と明日の朝食を買い込むことにした。スポーツ新聞の棚をチェックしていると、買い物を終えたオジさんが僕に声をかけてきた。

「ハムどうだった? ハム?」

 もちろん、ボンレス・ハムのことではない。昼間に行われたプロ野球パ・リーグの「西武×日本ハム」プレーオフのことを言っているのだ。オジさんは僕を地元の人間と思っているらしい。わざと日ハムを主語にして答えてみた。

「負けちゃったみたいですよ」

「そっか。じゃ、ダイエーとやれないんだ。かわいそうに…」

 かわいそうに、か。いかにも選手たちに同情しているという感じである。ハムという略し方にも古くからの野球ファンの雰囲気がある。

 コンビニにいる若者に気軽に日ハムの試合結果を尋ねたりするのも、地元にしっかり根づいたチームの存在を媒介にしたコミュニティーがあるからこそ成り立つものだろう。

 食料と一緒に酒も買い込んで、ホテルに戻った。同じホテルに泊まっていたフランス人のグループが入れ替わりに夜の街に繰り出していったが、彼らが一体どこに向かうのか想像もつかなかった。

 こうして、旅の二日目は終わった。


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